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第九區

『第九区のあゆみ』

 我々、第九区は50年の歴史を積み重ねてきたが、記念会の会員として、また第九区として、様々な行事を通して地元の人々との交流を深めてきた。また、寺社との縁が深く「講」の人々と共同で奉納したものも数多い。そのようなことが歴史の大半を占めていることから、以下に足跡・纒の変化・和泉会/豊好会などの木遣会・伝統文化の継承などについて振り返る。
 記念会入会以前は第三区とは隣同士であり、その関係は非常に強かった。
昭和28年(1953)2月27日 城西地区旧郡部消防組十組(淀橋・十二社・大久保・戸塚・落合・中野・野方・高円寺・方南高井戸・荻窪)の各地区が会の趣旨に賛同し、第九区として独立加盟した。この時は、戦後の焼け跡での発会式になったと古老から聞いている。


沿革・足跡
昭和24年 五番組にはこの年から起稿した組合名簿・協議記録があるが、全て手書き
     で当時の実情が分り、歴史を物語っている。
昭和27年5月 新井薬師へ額を奉納(324名)
昭和29年5月 高幡不動尊へ東京明眞講と大賽銭箱を奉納(平成12年12月修復)
昭和30年 柴又帝釈天に第三区・第八区と共に 賽銭箱を奉納
昭和30年 五番組が中心となって、和泉会が中野・宝仙寺仁王門工事で木遣地形を奉納
昭和32年 四番組加藤貞造他で中井御霊神社で賽銭箱を奉納
昭和32年 友聲和泉会として、佐奈田霊社に額を奉納
昭和33年 十番組、医王寺では解体工事から昭和35年の本堂の落成式まで関わり合った。
昭和37年 第三区六番組と共に二番組が西向天神社に賽銭箱を奉納
昭和37年春 環状七号線道路建設で真盛寺の木遣塚を移転。八番組が地元として、ま
      た九番組も近いため参加した。
昭和42年7月 輿樗地蔵尊に豊好会で額を奉納
昭和43年9月 五番組が氷川神社に賽銭箱を奉納
昭和43年 高尾山薬王院の石段を第十区木遣聲會が奉納したが、そこに四番組・六
     番組も参加した
昭和49年9月 二番組他が鬼王神社へ賽銭箱奉納
昭和52年 和泉会が佐奈田零社に額を奉納
昭和56年頃 八番組が妙法寺額堂にまねきを奉納(合計42名)
昭和59年9月 五番組が明徳稲荷に賽銭箱を奉納
平成7年5月 熊野神社に纒記念碑を建立
平成10年5月 新井薬師の水屋に豊好会と檀家が共同で、纒の絵の格天井を奉納
平成12年4月 高幡不動尊に纒記念碑を建立
平成14年 十番組が宗源寺の普山式に木遣りで先導した。

纒の変化
三番組 昭和41年に戸塚の「戸」の文字の纒から現在の形へ変更
六番組 昭和31年に「め組の纒」(篭目)を譲り受けた。
七番組 以前のものは「杉」と「ナ」を三つで受持区域の「杉並」としたが、現在は「杉」の
    文字はないが、基本形状は同じである。
八番組 和田堀の地名から「輪」と「田」を意味する形である。
十番組 昭和28年頃、纒が変わった。

第九区和泉会
当初は「友聲和泉会」として、五・六・八・九・十番組が活動しており、一方、一・二・三・四・六・七番組は豊好会に参加していたが、平成元年になって新たに「第九区和泉会」として再結成した。いずれにしても真盛寺の木遣塚が第九区の象徴である。
 真棒の裏には、木遣の歌詞と「友聲和泉会」「昭和6年5月」と刻まれ、下部のプレートは「昭和24年5月起工」とある。 
 また「木遣塚記念碑」として二つの石碑を建てた。「友聲和泉會建立」「昭和三十七年春環状七號線道路建設ニ際シ此ノ木遣塚ノ元敷地ガ道路トナリタル為之ヲ現在地ニ移轉ス依テ此ノ碑ヲ建テ記念トナス」
「平成元年1月吉祥日」建立の「木遣塚記念碑」は「第九區和泉会結成記念」として「会長飯田初穂」他幹部119名の氏名が刻まれている。
 真盛寺と次項の妙法寺は八番組の区域にある。高幡不動尊との縁も八番組が発端であり、第九区はこの3ヵ所の寺で大きな行事を行うため、区の行事が八番組の行事にもなっている。
三つある纒の石碑
 昭和58年(1983)10月に妙法寺山門前に建立した「纒十本」の石碑の裏に歴代の幹部の名前が刻まれているが、類似の石碑を西新宿熊野神社・高幡不動尊にも建立した。
これらは第九区の象徴的な石碑であり、類似の石碑が三つもあるのは、記念会の中でも珍しく、若手にも誇りとなっていて、建立時期の会員全員の名前が刻まれている。
年間の恒例行事と定例参拝する寺社
1月  出初式・大盃の儀 道具持の新年会では高幡不動尊への参拝が恒例となっている。
2月  節分 地元の寺社に協力(六番組は新井薬師で木遣りで先導する) 
4月  豊好會 長命寺参会・高幡不動尊参会
5月  和泉会真盛寺参会 弥生祭の準備
7月  豊好會 輿樗地蔵尊参会
11月 出初の準備 木遣り・梯子・纒の稽古  豊好會は高尾山参会

地元の講とのご縁
 高幡不動尊との縁は二代目総代の内山徳治氏が山門修復工事の時に、上屋を掛けたのが始まりで、その後、地元に東京明眞講を作り、講元として一緒に通うようになってからである。
また、木遣豊好會では「高尾山愛心講」と共に、薬王院弁天様の入口の玉垣親柱を寄進しているが、近年会員の変化で豊好會が中心になっている。

伝統文化の保存継承
木遣りの稽古は、定式を行う角三会館で大きな行事の前に実施している。出初式の準備として11月20日前後に一週間程度行っている。また、纒・梯子の練習は熊野神社境内で行っているが、必要に応じて組毎にも行なっている。
出初式終了後は一番組が世話役として、熊野神社にて、一年の安全を祈願してお祓いを受けている。

平成17年は入会50年
 平成17年は大きな節目の五十年周年を迎えて、記念行事を挙行した。
 
佐奈田霊社 第九區石碑建立竣工式




 4月25日9時前には佐奈田霊社に着いたが、既に第九区の纒10本全てが揃っていた。
小田原市石橋山・佐奈田霊社に江戸の纒が10本も揃うことは過去にも例がなく、式典の準備が着々と進んでいた。一言で竣工式と言っても、そこに至る過程ではさまざまな検討と打合せや準備が行われて当日を迎えられたので、関係者には殊の外大きな喜びの日となった。
 神奈川新聞「花菜」というタウン誌に「暮らしの歳時記」欄があるが、4月20日号(Volume12)に佐奈田霊社が紹介された。そこには「町火消の伝統を今に伝える江戸消防記念会第九区の纒をあしらった意匠の記念碑の除幕式を、本物の纒を揃えて木遣の奉納を行う」と紹介されたこともあってか、一般の方々もかなり集まってきていた。
 10時前からご来賓や各区の総代が集まりはじめ、11時前には石碑の前に用意された椅子に着席された。今はあまり利用されない表参道側に待機していた10本の纒が、先導する筒先中の木遣と共に振り込まれながら入場された。
そして玄関前から山主が小頭中の木遣で入場し、仲俣副組頭の司会で開会した。
 はじめに代表者5名が高橋副組頭の遣り声の後、石碑の除幕を行った。そして開眼法要がはじまり、途中で3人の木遣師がご祝儀木遣を行った。納めの法要では来賓・総代などが順次、献香をされて読経が終了すると、再度、山主が木遣で退席された。本堂前で記念写真を撮った。
 更に秘仏などが特別開帳され、前日真田与一義忠の木像が安置された本堂にて法要、深野組頭を中心とした各組木遣師による木遣奉唱と続いて一通りの式次第が終了した。
 その後、相模湾が見える庫裏での祝宴では、はじめに加藤総代の挨拶の後、山主から感謝状・記念品が授与され、来賓として第九区名誉総代で元衆議院議員の橋一郎様、江戸消防記念会の鹿島靖幸会長からの祝辞、佐奈田霊社八百三十年祭実行委員長立山芳治様から挨拶があり、石碑を作られた竹林石材店の竹林社長に感謝状とまねきが贈呈された。乾杯は第九区顧問で前衆議院議員松本文明様の音頭で祝宴になり、約一時間ほどでお開きとなった。
「平成22年5月25日 消防殉職者慰霊祭でのひとコマ」
   

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